◎平野さんの和紙の話に敬服(午前の部)
平野さんは言う。和紙−ことに泉貨紙という生活用具としての和紙−は、身近にあるさまざまな素材・環境があって生まれた。和紙づくりには、コウゾあるいはミツマタ、トロロアオイ、里山の軟水が必要であり、さらには柿渋を施すものもある。また和紙づくりは、一身具現性(最初から最後までひとりの人間でつくること)であり、技術的には一種の完成域に到達しているものの、それが故に小ロット生産であることが多い。西欧の紙製作はその伝来が遅かったこともあり、印刷術に適するように、比較的早くから大量生産に向かった。日本の紙は小ロット生産にもかかわらず、その用途はさまざまに分化していった、と。
泉貨紙自体は、他の和紙に比較して歴史は浅い…とはいえ400年。紙を漉く際、2枚合わせにするという独特の手法のため、それだけでも丈夫なのに、柿渋を何度か塗ると、まるでプラスチックのように丈夫になり、耐水性が生まれる。顕微鏡で一般の洋紙、和紙、柿渋を施した泉貨紙を見てみると、柿渋泉貨紙は明らかに繊維がくっつき合っている。生活用具として、一閑張りや紙衣などに用いられたのも宜なるかな。
まさに、泉貨紙は愛媛の里山を構成する環境の多様性から生まれたといえる。平野さんは、そのような里山環境の多様性を「複雑な境界相を内包する環境」と位置づけているが、里山がいかなるものかを説明するのに、非常にすぐれた概念と考えられる。住居、田畑、キッチンガーデン、四季の果樹・花樹等々、それぞれの環境構成要素が、日本の里山にはじつに複雑に共存し、自然にはないような多様性を生み出しているからである。
米国の大規模耕作地では、環境構成要素が少なく、境界相も単純なものとなる。砂漠では、そもそも境界相はない。もちろん、生物は単純な環境にあっても、それに適応して生存するものもあるが、複雑・多様な境界相を有する里山にあっては、生命も多様に存在する。和紙づくりを通して、このような「目からウロコ」の里山概念を組み立てられるというのは、まさに敬服の至りであった。(報告=Countryside Hill)
◎泉貨紙クラフト(午後の部)
ケント紙と柿渋を施した泉貨紙をつかって、不思議な造形物をつくります。言葉でその過程を説明するのは、とてもむずかしいいので、それは止めます。けれども、製作過程で、ケント紙と泉貨紙の違いが体感できたことは、大きな学びでした。
泉貨紙も、そのままではこのクラフトにはむずかしかったかもしれませんが、柿渋を施した後(じつは午前の授業の前に、それぞれ好みの泉貨紙を選び、柿渋に浸した後、乾燥させておいたものです)の泉貨紙は、まるで薄いプラスチックのような紙になっており、工作はじつに容易でした。
もちろん、サッカーボールのような立体造形物を平面からつくり上げるのは、大変なのですが、あらかじめ平野さんがケント紙、泉貨紙それぞれの切り口や折り目を印刷しておいてくれたおかげで、比較的容易に(というほど簡単ではありませんが)組み立てることができました。
本来、身近な環境で育つ植物を利用して生み出される泉貨紙。身近な果樹である渋柿から生み出される柿渋。この両者が合わさるとじつに丈夫な紙になり、生活用具に用いられたことが体感できた授業でした。里山の生物多様性と暮らしの知恵がよく理解できました。(報告=Water Good-well)