転勤族の自分にとっては家といえば賃貸のアパート。選択肢は立地や間取り、築年数、水周りの設備程度でその家がどのような過程を経て建設されたのかなどは知る由もありません。前任地の仙台も松山も様相が変わらない家に住めるのはありがたい半面、食文化や言葉は違うのに気候の違いを無理やり冷暖房で押し込めて暮らす家に物足りなさも感じていました。眞鍋さんの御宅は何やらそんな自分のアパートとはちょっと違う雰囲気を感じ、授業に参加させてもらいました。
まずはじめに土壁塗りを左官職人さんが見せてくれました。使う材料は竹と麻紐と土のみ。柱と柱の間にあらかじめ切りそろえられた竹が麻紐によって次々に張り巡らされ、あっという間に格子状になりました。その上に壁となる土を塗っていきます。壁塗りは私も体験させてもらいました。傍で見ていると簡単そうですが、コテに土を乗せるのもままならず、先程の竹の格子に押し付けた土はボロボロと落ちてしまいます。でも土を塗る作業はパイ投げのような爽快感があり、参加者のみなさんも気持ちよさそうに作業をしていました。しかし、その後の壁は凸凹で皆さんそれとなく施主さんの顔色を伺っていたところに、職人さんが目にも止まらぬ手際の良さであっという間に平らに仕上げてくれました。この道40年以上と胸を張る職人さんは初めて見た時より俄然逞しくかっこよく見えました。
その後、宮大工の高橋さんから宮大工の道具についての説明を頂きました。以前西岡常一さんの著書を読んだときに出てきたような様々な種類のノミやカンナがありました。寺社建築の独特な曲線や模様を作るには一般の大工さんの道具ではいけないそうです。そういった道具を使いこなすために膨大な時間の修行が必要だそうです。また、のこぎりを研ぐ技術(目立て)については特別な技術を持っており、その技術を持っている人は同年代では日本に10人もいないと仰っており、その顔は自信に満ち溢れていました。
その後ご自身で削った材木2本をつなぎ合わせるデモンストレーションを見せて頂きました。複雑に削られた継ぎ目を噛み合わせ、隙間に杭のようなものを打ち込むと見る見るうちに材木が1つになり、大人が乗っても折れない1本の材木になりました。これには一同驚愕し、当の高橋さんは折れたら大工を辞めてもいいと胸を張ります。
カンナ削りも体験させて頂き、材木からティッシュペーパーよりも薄く木を削りました。力の加減が難しく、なかなか大工さんのようにはできません。この際には木づちでカンナをチューニングし、歯の出方など微細な感覚の仕事を目の当たりにしました。
授業終了後の参加者の皆さんからの感想と質問の時に「松山でお仕事して頂けますか」という質問に対し、高橋さんは「メンテナンスが出来ない」という理由で難しいと仰っていました。高橋さんも左官職人さんも自分の腕に自信満々でしたが、それは自身の仕事に責任を持っていることの表れだと思いました。そしてその責任を最後まで全うしたいという職人さんの仕事の本質を見た思いがしました。
震災以降、原発など今までなかなか見えなかった部分が明らかになるにつれて、見えない部分には適当さや危険なものが隠してあることに気づくようになりました。そして食べ物をはじめとして、あらゆるシステムにおいて生産者から消費者に届くまでのプロセスが透明になることにより、安心感を得られる気がします。土の壁の家は竹は○○市の○○さんが切ったとか、土は○○市の○○工業さんが作ったとか左官職人さんを通じ、家が出来上がるまでのプロセスがきちんと見えます。
また、職人さんの家づくりは安心感に加え、大きな付加価値もあるなあと感じました。講義の後改めて住宅を見てみると、壁のいたるところに手仕事の跡があったり、桁には継ぎ目があったりして、職人さんがこれまで習得してきた技の痕跡が随所に見られます。そこには先ほどの生産者の方を含めて、技術の習得までのあらゆるストーリーが内包されており、商品としてパッケージ化された住宅では味わえない味わいがあると感じました。そんな家だったら、いつまでも愛着を持って住み続けられるなあと思います。
目で見て、聞いて、体験してこれまで感じていたのとは全く違った切り口で住まいについて考える良いきっかけになりました。このような機会を作って下さったコーディネーターの方や講師の方々、真鍋さんや他の参加者の方々、どうも有難うございました。
【報告:
青砥穂高】